LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

都市計画について⑤

 「コロナは飲んでも構わない」という某京大教授がいた(アレには驚いた)。それを支持する某大学教授がいて、さらにそれを支持する学生などがいるらしい。これは、どう理解したら良いんでしょうか。
 某大学教授は、パンデミック下の東京五輪について、感染拡大に差し掛かっていた開催直前にも関わらず、その強行を擁護する意見をFBで流していた。その後、新規感染者数は激増、東京は医療崩壊し、日本は8月中に250人の医療機関外死者を出した(https://mainichi.jp/articles/20210913/k00/00m/040/176000c)。五輪賛同者は、このことについて何もコメントしないのだろうか。私には不思議としか思えないわけですよ。
 昨年春からの一連の経緯を、ブログで取り上げてみようとも思うけど、あまり気が進まない。とりあえず人間というのは仲間内で盛り上がっているうちに、おかしくなっていくものなんだと、改めて思い知った。また、本当の知識人と「知識人ごっこ」をしていただけの人たちの違いも分かった。

 私は研究室にいた頃、あるゼミで現代貨幣理論(MMT)について同期に紹介したことがある。当時、某京大教授もMMT推奨論者の一人だったが、彼については少し違和感を抱いていた。そもそもMMTを日本に輸入したのは別の人物である。その頃の違和感が、コロナ禍ではっきりした。
 某京大教授の周辺はカルト化してしまったが、MMTの議論はたいへん重要だと思われるので、私は若い世代はこれを引き継いでいくのが良いように思う。
 誰だって物事は知っておくことに越したことはないでしょうし。

https://diamond.jp/articles/-/230685
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【本文】

 今回調べている石田頼房氏という人物はなかなかスゴイ方だなと。農村計画の方面にも明るいし、また森鴎外をテーマにして一冊書いてもいる。
 ある著述家の本を読んで、それが面白かったので他の作品を読んでいくと、だいたい二つのパターンに分かれていく。一つは、いくつか読んでいくうちに「なんか言ってることが変わらないなぁ」「だんだんイデオロギーにすり寄ってきているなぁ」というふうに面白みを失っていく方向。もう一つは逆で、「おお、こっちの方面まで研究しているのか」とか「この話と、あの話をつなげてくるか」というふうに面白みが増していく方向がある。もちろん後者の方が優れた著述家です。石田氏は後者であり、たいへん優れた学者だと思います。

 戦後の日本は、大学・高専の地方疎開、大都市圏の建築抑制、地方工業化、農村振興などが主張されていた。その熱心な主張者たちは、石川栄耀や北村徳太郎などのアウタルキー的国土計画(1)の論客だった。そういうわけで、戦災復興計画の事業は、東京ではなく、地方において優先的に実施されている。
 ところが、1949年のドッジ・ラインにより、戦災復興計画は見直し、戦災復興の遅れていた東京では大幅な事業縮小が余儀なくされた。東京以外の都市の事業化率が61.8%だったのに対して、東京での施行率は当初計画の6.8%のみだったという。そこに朝鮮戦争が勃発、特需景気に湧いた東京へ大量の人口が流入し、いわゆる木賃アパートベルトが形成された。地方分散の方針が、裏目に出てしまったということなのだろうか。
 その一方で、戦争によってなし崩しになってしまったという東京緑地計画(1939)は、第1次首都圏整備計画(1958)として復活する。大ロンドン計画のように、きちんとしたグリーンベルトの設けられた東京計画がたち上がった。これが実現していたら、東京は今のように無尽蔵に大きくはならなかったのだろう。

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 アウタルキー的国土計画はドイツ流の分散論だとすれば、グリーンベルト計画はイギリス流の分散論にもとづくものであり、ともに分散論だったが、これらとは別に正反対の考え方が戦後から現れていた。「これから東京は巨大都市化していくのであって、これは時代の不可避の流れだ。むしろ巨大化こそが東京の将来あるべき姿だ」というような、巨大都市肯定論・大都市礼賛思想である。要するに集中論を唱える人たちが出てきた。西山卯三は「大都市論」を唱えていたというし、角本良平も『通勤革命』で似たようなことを言っていた。
 集中論者の論調には次のような特徴がある。ひとつは、都市の巨大化は不可避の流れだが、これは経済成長するにあたって企業活動の効率化が行われるため、つまり経済合理的な人々の判断にもとづくという「規模の経済」「密度の経済」を論拠にしている点。それから、巨大都市化には交通渋滞、住宅不足などの社会問題がともなうが、これらは交通システムや団地などの都市インフラの整備水準が低いから起こるのであって、地下鉄や高規格道路、ベッドタウンなどを建設して都市のスペックを上げれば解決するだろうという、大都市改造を指向する点。
 戦後の都市計画は、時代が経るにつれて、この考え方が優勢になっていったように感じる。今でもこの考え方が主流なのではないか。ニューヨークを改革したというジャネット・サディク=カーン氏にも同じような思想が読み取れます。彼女の場合は、大都市化からさらに高密化を指向しているところが興味深い。

 もし地球を守りたいなら、ニューヨークに引っ越してくるべきだと私はよく話す。ニューヨークでなくとも、大都市であればどこでも結構。(中略)何百万もの人々の住まいを、数百もの農村や郊外に広げるのではなく、高層建築に集中させることで生まれる都市的なエネルギーこそ、実際に多くの人々がニューヨークのような大都市に文化的、専門的、政治的側面から惹きつけられる理由である。(中略)したがって、効率的に国全体の成長を都市部に集中させることは、今世紀、各国が採用すべき最重要戦略のひとつなのだ。(2) 

 第1次首都圏整備計画は、当初はグリーンベルトを設ける予定だったが、1965年の首都圏整備法改正の時点でなくなってしまう。グリーンベルトはなぜ失敗してしまったのか。
 石田によれば、1960年頃から過大都市抑制=分散論か、それとも巨大都市肯定=集中論かの議論が活発になっていたという。それ以前までは、石川栄耀らの分散論が採用されていたというのだから、この頃から集中論が台頭してきたということなのかもしれない。
 1960年頃は、東京という都市のターニングポイントだったように思います。池田勇人所得倍増計画を掲げ、丹下健三が「東京計画1960」を発表し、東京オリンピック1964の開催が決定したのもこの時期だった。東京の巨大都市肯定論は、高度経済成長と手を取り合って発展していったのだろう。
 そういう思想上の転換もさることながら、第1次首都圏整備計画のグリーンベルトが頓挫してしまったのは、具体的にそれに反対する人たちがいたことも石田は指摘している。
 グリーンベルトに該当する地元住民および地元市町村が、グリーンベルトに指定されたら地域開発の機会がなくなってしまうということで、反対運動を行っていた。当時の農民は開発指向をもっていたらしい。場合によっては、各農家が相談して、グリーンベルト地帯に宅地分譲地をばらまくという実力行使も行われていたという。
 それに加えて、当時の日本住宅公団が、グリーンベルトに該当する地域において用地取得・開発を行い、いくつもの大穴をあけてしまっていた。住宅公団などの専門的な事業主体は、地方計画などに制約されず、企業的性格に基づいて動いてしまう。このことについて、石田は指摘している。

問題であったのはこれらの事業主体の特色である「企業性」です。それが、国、地方自治体などの公共性によって充分コントロールされていればまだしも、前にも述べたように基本法不在という中で、また地方自治体に充分な都市計画的独自性が与えられていなくて、またそのような意識も育っていないという状況の下では、これらの事業主体の企業的性格に基づく事業の論理で都市開発が進められ、計画の論理がゆがめられる場合が少なくありませんでした。

 1962年の第1次首都圏整備計画の一部改訂で「グリーンベルト」は事実上放棄され、1965年の首都圏整備法改正で近郊地帯(グリーンベルト)の文言は削除、1968年に策定された第2次首都圏基本計画では、東京都心部を業務管理中枢機能に純化する方針が固められた。
 結局、第1次首都圏整備計画が失敗になってしまった原因には、それが立案されたタイミングの遅さにあると石田は言う。

少なくとも石川栄耀が「戦災復興都市計画」論の中で展開していたように、1940年代後半、戦災復興計画と同時に定められているべきだっただろう。そうすれば、もう少しその理念を発揮する機会もあったかもしれない。しかし実際は、日本が経済成長に向かい、東京でスプロールが起こりはじめた後の1956年に、ようやく根拠法が制定されたというように、遅れてきた計画となってしまった。(中略)「第1次首都圏整備計画」の失敗は、結局、現在の東京一極集中問題の原因となっているわけで、あまりにも教科書的に見事なこの計画のたどった運命と結末には、今から考えても暗然たる想いがする。

 イギリスでどうしてグリーンベルトが上手くいったのか、ドイツではどうして分散的な国土計画が成立したのか、あるいは本当に上手くいっているのかどうかも含めて、今後の研究課題となりそうだ。

 

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参考文献:
・『日本近代都市計画の百年』
・『未完の東京計画』
(1) 戦争を念頭に置いた国土計画。首都が打撃を受けても、国家が戦争継続能力を維持できるように、おのおのの地方を工業生産・食糧生産の拠点としてワンセットで機能する自給自足圏として整備し、それらの地方を高速道路などによって結び合わせる。ナチス・ドイツによって発達したらしい。
(2)『ストリートファイト