LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

わざとらしいデザインの高層ビル

【わざとらしいデザインの高層ビル】
 J.ジェイコブズは、再開発でディベロッパーの建てるビルにはわざとらしく奇抜なデザインが多いことを指摘していた。それは結局のところ、ディベロッパーのビルは用途が同じようなものばかりだから、外観で意図的に違いを見せようとする動機がはたらいているからだという。

用途が実際に均一なところでは、しばしば建物ごとに、意図的なちがいや差異が図られているのをよく見かけます。でもこうした仕組まれたちがいは、美的な混乱も引き起こします。というのも本質的なちがい - 本当にちがった用途から生じるちがい - が建物やその環境には欠けてるので、その仕掛けは単に、ちがって見えたいという欲望を表しているだけなのです。※

 確かに、現代も再開発でつくられたビルには意図的なデザインが多い。妙にねじれた構造になっていたり、表面がカーブを描いていたりと、頑張って個性を発揮しているらしい。しかし、その中身のほとんどはオフィス、ホテル、高級マンション、商業施設のいずれかである。
 最近の再開発では、環境に配慮しようとして高層ビルに草を生やしているものが多い。地上を緑化しているだけでなく、屋上まで緑化しているものもある。しかし、「環境のため」というのはしらじらしい。環境を大事にしたいなら、そもそも高層ビルの方を造らなければいい。
    東京の再開発は、「各企業がそれぞれのエリアで個性を出している」といわれているが、端から見れば皆同じではないか。ジェイコブズの指摘は、むしろ今の東京にあてはまる。

街路や近隣で用途が均質になればなるほど、残された唯一の方法でちがって見せようという誘惑は強くなります。ロサンゼルス市のウィルシャー大通りは、わざとらしくひねりだされた派手なちがいが次々に並ぶ、何キロも続く本質的には単調なオフィスビルの見本です。※

※『アメリカ大都市の死と生』

 

【フェデラル・ブルドーザー③】
 マーティン・アンダーソンは、1949年にはじまるアメリカの都市再開発事業が多くのマイノリティに立ち退きを強制していることを批判した。
 都市再開発政策は、はじまりこそ低所得者の住居を確保するためのものだったが、1954年の法改正によって商業・業務地区を整備するプログラムとしての性格を強め、民間ディベロッパーが利益を得る仕組みになったという。
 このようなアメリカの都市再開発政策は、連邦政府の方針転換によって止まった。
 1963年に生まれたリンドン・ジョンソン政権は「貧困戦争」を掲げて、民間ディベロッパーの影響力を弱めるため、1968年までに都市再開発政策の制度改正を行った。これにより再び低所得者向け公営住宅の供給を増加させる方向に転換し、従前の再開発事業により除去された住宅と同じ戸数の住宅建設が義務化されたという。(1)
 アンダーソンが指摘したように、一連の都市再開発事業は市場の産物ではなく、政治の産物なのだとすれば、それが終了するのもまた政治の変化に由来している。そういう筋書きを半世紀前のアメリカからは引き出すことができる。
 東京の再開発政策は、1980年代から今に至るまで40年近く継続されている。あまりに長いので、東京周辺ばかり開発され続けている状況が、もはや当たり前のことだと思われているかもしれない。しかし、それは東京にビジネス・チャンスが溢れているからではなく、基本的な日本の国土政策方針が1980年代から変わっていないからだ。
 1982年に成立した中曽根政権は、「アーバンルネッサンス」を掲げて、第四次全国総合開発計画の素案を大都市重視の内容へと修正した。この時期から東京を「世界都市」として位置づけ、「世界に冠たる大都市を実現するための都市基盤を整備すべき」という発想が、東京都や中央省庁などの間で増えていったという。(2)
 2001年に総理大臣となった小泉純一郎は、当時の所信表明演説でこう言い放った。

都市の再生と土地の流動化を通じて都市の魅力と国際競争力を高めていきます。このため、私自身を本部長とする「都市再生本部」を速やかに設置します。(3)

 実際に翌日の閣議決定で、都市再生本部は設置された。都市再生本部は、民間企業を含めて再開発事業の提案を募集した上で、再開発を円滑にするための要望を聞き入れた。そして、その要望リストが「都市再生特別措置法」の原案となった。その法律が適用される都市再生緊急整備地域は、当初3,515haが指定されたが、その内2,370haが東京都内、947haが大阪駅周辺である。(4)
 アンダーソンは、再開発事業が地方ではなく大都市に集中することを指摘していた。当時の連邦都市再開発事業を実施している都市を集計した結果では、人口100万人以上の都市が100%、人口25万人〜100万人の都市が80%、人口10万人以下の都市は11%であったという。(5)大都市ほど中央政府の影響を受けやすいというのは、今も昔も変わらない。
 もう一つ大事な点として、東京の再開発政策は、二度の金融ショックにより危機的な状況に陥ったが、その度に中央政府によって救済されてきたことがあげられる。
 1990年頃の不動産バブル崩壊の際には、企業が投資目的で所有していた市街地の土地が不良債権化したが、中央政府は民間都市開発推進機構(MINTO機構)を介して、それらの土地340haについて約1兆円に及ぶ買上げから開発までの公的支援を実施している。(6)一部の新聞では、MINTO機構は企業の「駆け込み寺」と呼ばれた。(7)
 また、その後のリーマンショックでは不動産証券市場の規模が4分の1まで落ち込んだが、中央政府は国家戦略特区などの新たな優遇措置を設け、日銀によるマイナス金利政策、J-REIT買上げなどの金融緩和を講じた。それによって不動産証券市場を再興させ、再開発事業の資金繰りが成立する仕組みを整備した。再開発組合は完成した物件をSPCに売却し、またSPCからJ-REITに売却されれば、物件の経営リスクがディベロッパーの下から離れてしまう。(8)2020年9月時点の日銀のJ-REIT保有額は7,074億円となっており、日銀はコロナ禍も再開発事業の資金繰りを支持している。(9)
 市場に任せていたら、再開発政策は自ずから破綻してしまっていることだろう。金融危機から再開発事業を守るために、中央政府はあらゆる措置を講じてきたと言って良い。

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【参考】
(1)『欧米の住宅政策 イギリス・ドイツ・フランス・アメリカ』
(2)『「世界都市」東京の構造転換 都市リストラクチャリング社会学
(3)https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2002/gaikou/html/siryou/sr_01_03.html
(4)『都市再開発政策 その批判的分析』
(5)『「都市再生」を問う 建築無制限時代の到来』
(6)https://www.minto.or.jp/30th/pdf/anniversary_03.pdf
(7)『首都改造 東京の再開発と都市政治』
(8)『再開発は誰のためか 住民不在の都市再生』
(9)https://www.asahi.com/articles/ASP3976CFP2DULFA00X.html