LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

『余韻都市』について③

【過疎地域の建設業③】
 果たしてICT等の最新技術が、過疎地域の建設業にとって救いになるのかどうか、以前に書いた。ちなみに結論はNOである。
 その一方で、コロナ禍が明けていくにつれて、地方建設業の人手を確保するにあたって、もう一つの選択肢が現実味を帯びてくる。東アジア・東南アジアからやってくる、出稼ぎの移民を起用することだ。
 最近の日本は、たいへん移民に対して開かれた国であるらしく、OECD加盟35ヵ国の統計によれば、2015年では約39万人の移民を受け入れており、世界第4位という地位を得ている。実際、私個人の仕事の間でも、地方建設業ではたらく海外移民は増えていると聞く。
 出稼ぎの移民が起用されるのは、グローバル化の影響もあるが、彼らの賃金が安いからだ。企業の経営側にとって、安い労働力の存在は都合がいい。
    ところが、それは裏を返せば、日本の労働者の平均賃金が上がらなくなることを意味する。移民を受け入れるほどに労働市場の競争は激しくなるから、日本の労働者はいつまで経っても豊かになれない。
    この賃金低下圧力は、そのまま国内の消費を減らすことに繋がるから、地方だけでなく、めぐりめぐって都会の経済にも不利益をもたらすだろう。
 移民の起用には、もう一つ致命的な問題がある。それは、移民を大量に受け入れすぎると、受け入れた地域の文化が崩壊してしまうことである。たとえば近年の欧州は、イスラム系移民を大量に受け入れたと言われているが、それによって近い将来にはヨーロッパ的な文化や価値観が失われてしまうであろうと言われている。
 英国のジャーナリスト、ダグラス・マレーは欧州の移民問題について追跡調査をつづけた人物として知られている。彼は、欧州各国が移民を大量に受け入れた結果、欧州の治安が急速に悪化し、一部にはアフリカや中東のような秩序になってしまった地域が出ていることを主張している。※
 もし日本でも過疎地域の働き手について、移民の労働力に頼り続けることになれば、欧州の惨禍の二の舞になるであろう。
 だから、移民政策によって過疎問題を解決するのは悪手だと考えられる。
 やはり、日本の過疎問題を解決できるのは日本の若者だけである。彼らが、地方に分散して人手不足を解消すれば、都会における労働市場の競争率も緩和されるし、土地の文化も消失しないで済む。あと、恐らく少子化も改善されるだろう。良い事づくめなのではないか。
 あとは日本の若者の価値観の問題である。大都市圏に住む日本人の中には、地方で暮らすことを「都落ち」だと考えている者もいる。しかし、日本のためには、どうしても地方に回帰してもらわなければ困るフェーズに来ている。

 そういうわけで、いわゆる「人帰し政策」に関心を寄せつつある。
 江戸時代など、人帰し政策が成功した事例は少ないのかもしれないが、実際に都市住民による大規模な農村回帰が起こった歴史的事例はある。敗戦直後とか、あるいは1970年代に起こったとされる反都市化現象(counter urbanization)というのもある。
 コロナ禍では、疑似ロックダウンが行われた。「人間の行動の自由を妨げている」という批判もあったが、正当な理由があれば、人々の行動を大きく変容させる力を国家は持っていることが証明されたわけだ。人帰し政策だって、やろうと思えばできないことではないだろう。

※ダグラス・マレー『西洋の自死 移民・アイデンティティイスラム』(2018)

 

【余韻都市について③】

    石川栄耀は、「盛り場」となる空間には、二つの条件があると言っていた。『皇国都市の建設』第四章第四節「盛り場の定義及その一般的並に現代日本的意義及その性格」には、こう書かれている。

結局に於て人間は群集する事を本能とするものであるが、それにしてもその場合、「相互」が同類意識を持ち得る範囲内のものであり且自由朗明な心情にあるものである事が条件である。

 一つは、盛り場の構成員が自由な精神をもっていること、もう一つは、彼らが相互に同類意識をもっていることであるという。
    「都市の空気は人を自由にする」と言われているように、都市は、自由な精神を培う場所だと考えられている。これは、現代社会においても流通している価値観であろう。ところが、石川が都市に見い出していたのは、自由だけではなく、そこに相互の同類意識も培われるということだった。石川はそれを「民族を結合させる結楔」と呼んでいる。

 かくして盛り場の価値は一応市民に対しその人類としての至上楽であるところの楽しき群落交歓を与える事にあるのであるが、然し之はそれ丈の価値であると解するよりは、之れを通じ民族をして極めて自然に、従って極めて確固に之れを結合せしめる結楔となるものであると迄考えるべきであろう。

 「民族」というと語弊があるだろうから、現代なら「地域住民」と言い換えても良い。石川は、「盛り場」を地域統合の手段とみなしていた。これは、街路近隣を「草の根の運動」の力の源泉と見なしていたJ.ジェイコブズの考え方に近い。単に盛り上がるための場所が盛り場ではないのだ。
 地域統合の手段という観点からすれば、盛り場の商業施設は、それぞれが個々の経営上の論理に従って活動することは好ましくない。そのため、石川は組合制度を強化して、自営業店を保護しながらも、一つの商店街が一つの資本を形成するようなことが望ましいと考えていた。

従って盛り場としては健全なる事を条件として慰楽化すると同時に、次の様な配意を怠る事は出来ない。即ち、先づ配給機関としては在来の功利主義を一徹して、極力公益理念に服しなければならぬ。その為には個々資本の個々活動は最も不合理不利であるから商業組合の制度を活用し、全街一資本の形に還元しなくてはならない。(中略)
 又店頭情趣に個性を有たらしめる事から云っても、現行家族単位の経営法には捨て難きものがある。結局は組合制度が強化し、組合の指導力が確立する形式が望ましい。

    商店街を組合主導にすることで、盛り場としての結束をつくると同時に、秩序ある盛り場を維持することで地域としての結束をつくる。こうした地域住民の連帯意識の向上こそ、石川の都市計画思想の中核を為していた。
 ところで、『皇国都市の建設』が発刊されたのは1944年の戦時下であることから、石川が大都市分散を論じたのは、あくまで防空等を目的とする安全保障上の必要からであって、平和な時代では大都市分散など必要ないのではないか、という批判もあり得るだろう。
 確かに、石川は大都市分散を論じるにあたって、戦争という時代状況に応じていた面はあったが、単に「戦時下なので小都市にすべきだ」という一時的な措置を主張したわけではない。ましてや、戦争という時流に乗っかっていたわけでもなかった。
 単なる戦時下の措置なのであれば、戦時中の期間だけ疎開や分散を主張すればいい。しかし、戦前・戦中・戦後と一貫して小都市主義を掲げていたのが石川であって、戦中では防空上の観点でもって、その議論が補強されていたというに過ぎない。
 たとえば、戦前の論考である「郷土都市の話になる迄」において、石川は大都市批判を行い、三万人〜十万人程度の小都市にこそ個性があると論じていた。そして、愛知県にいた頃には、中小都市の都市計画を実践していたという。(1)
 あるいは、戦後の石川が関わった「東京戦災復興都市計画」では、東京の人口を極力抑制し、さらに緑地帯によって東京地域をいくつかの小都市に分けることが提案されていた。もっと言うと、将来的には甲府・前橋・宇都宮・水戸といった遠方の都市に、東京の政治機能を分散することまで考えられていたという。(2)

    そういうわけで、石川の大都市分散策は、戦時下における特異な計画論だという指摘は当たらない。

    さて、『余韻都市』の話に戻ると、第3章「劇場と都市の変遷からみる歩行者と公共交通が連携した計画の重要性」では、渋谷の再開発が取り上げられている。そのまとめとして「東京では民間主導の劇場供給が、鉄道駅に近接したエリアへの集積傾向をつくり出しており、石川栄耀が自らの休養娯楽計画の空間構成が新しい都市再生の時代のモデルとなることを予感させる」とある。石川の思想が、東京の再開発に一役買うというのである。
 しかし、現在の民間主導による再開発というのは、渋谷も含めて、東京のさらなる巨大都市化を促し、国土の一極集中を激化させるものである。東京では、オリンピックの開催に伴って、300件を上回る大規模プロジェクトが完成または継続されてきた。(3)
 もっとも、民間主導というけれども、それらの大型開発の多くは、都市再生特別措置法(2002)、そして国家戦略特別区域法(2013)の下、容積率緩和などの恩恵を受けて進められたというのだから、結局は国の関与があるわけであろう。何にしても、こうして東京は「国際化」という名の下に、小都市化や組合主導などの議論は顧みられることもなく、さらなる高層ビルが建ち並んでいく有り様となる。
    このような巨大都市化の運動が、石川栄耀の都市計画論に沿うものであるどころか、むしろ真っ向から対立するものであることは、言うに及ばない。ただでさえ大都市化している地域に、さらに再開発を重ねて高密化を図り、無理やり繁栄を謳歌しようとするやり方は、石川だったら恐らく反対したのではないか。
 要するに、石川の思想に従えば、現在進められているような東京の再開発は、決して面白がるものではなく、到底容認できないものであるはずなのだ。

 

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(1) https://www.jstage.jst.go.jp/article/aija/74/642/74_642_1767/_pdf/-char/ja
(2) 石田頼房『未完の東京計画』
(3)https://www.amazon.co.jp/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A4%A7%E6%94%B9%E9%80%A0%E3%83%9E%E3%83%83%E3%83%972020-20XX-%E6%97%A5%E7%B5%8CBP%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%AF-%E6%97%A5%E7%B5%8C%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%86%E3%82%AF%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2/dp/4296105132