LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

江戸の人口ブラックホール

【人生の残りの時間について】
 昨年のうちに、おめでたいことに2人の友人にそれぞれ子どもが生まれた。つまり彼らは父親になった。友人が親になったというのは、実際その赤ん坊を目の当たりにしても、なかなか実感がわかない。
 赤ちゃんのお世話は大変そうだ。同じ職場にも1~2歳の子どもの世話をしている先輩がいるが、いつも子供の体調不良や睡眠時間に影響を受けて、仕事を後にすることが多い。
 たぶん子どもが生まれたら、自分のために割ける時間は全くなくなってしまうんだろう。仕事と育児に必要な時間を充てているうちに、やりたかったことは置き去りになるに決まっている。そして子供が大きくなった頃には、誰もが若さを失っているはずだ。それで病気にでもかかったら、あとはお迎えを待つだけになってしまう。
 社会人になって何年か経つ間に、自分の人生で残された時間はどれだけあるのか、分からなくなってきた。大学生の頃は、好きなことに100%の時間を費やすことができた。自分にはなんと膨大な時間が残されているんだろうと思っていたが、その感覚は日に日になくなっていく。遠出の旅もあと何回行けるか分からない。
 人生の時間というは意外と短いのだなと思う。

 

【江戸の人口ブラックホール
 速水融氏は、日本の歴史人口学の大家とされている。
 同氏の研究分野は、江戸時代の人口動態についてであるが、それを幕府や各藩が残してきた「宗門改帳」の記載を追っていくことで解明したという。
 彼の研究において主要な成果とされている発見の一つに、「都市蟻地獄説」というものがある。ヨーロッパの歴史人口学にも「都市墓場説」と呼ばれる類似の学説があり、速水氏の発見と同時代に発表されたという。それは次の様なものだ。
 江戸時代の日本人口を概観すると、17世紀に増大(12百万人→30百万人)、18世紀に停滞(30百万人)、19世紀に再び増大(30百万人→36百万人)となっているそうだが、18世紀に人口が停滞したのは、単に人口の増減がなかったのではなく、農村の人口流出と都市の人口流入による相殺が起きていたためだという。例えば、関東圏では江戸に人口が流入し続ける一方で、北関東からは人口が流出し続けた。また近畿圏では大阪に人口流入が続き、周辺地域から人口流出が続いた。
 18世紀の江戸・大阪は、飢饉や疫病の影響により死亡率が高く、そして晩婚化が進み男女比もアンバランスだったことで出生率は低く推移した。そのため、江戸・大阪の人口は放っておけば減少し、人手不足となっていくはずだったが、それを周辺の地方から絶えず若者を受け入れることで補給してきた。その一方、地方の農村では子供をいくら生んでも自然増分の人口が大都市に吸収されてしまい、むしろ人口減少に陥っていたという。
 こうして大都市が人口のブラックホールと化しているというのが都市蟻地獄説の概要になる。
 現代でも、大都市の低出生率と地方からの人口流出というのは見受けられる。東京および首都圏の出生率は全国の中でもっとも低い方だ。地方は経済停滞が続いているから人口がどんどん流出していく。技術が進歩しても、東京が人口ブラックホールであることに変わりはない。多くの若者は東京に憧れを抱いて上京するが、実際のところ、そのほとんどは蟻地獄の穴に落ちに行っているようなものだ。
    江戸時代の上京した人間の苦境について、荻生徂徠は人帰し令を提案しながらこう言っている。

 いま江戸の城下町に居住している者の多くは、諸国出身の者であるから、右の限度に従って江戸の人口を限定し、それ以外の者はすべて諸国へ帰らせるべきである。帰らせる方法としては、その出身地の領主に命じて、人帰しを実施させればよい。民衆というのは愚かなもので、将来についての思慮のない者である。江戸での生活が苦しくなっても、その日暮しの生活をなんとか送ってゆけるのは江戸だけであるから、その習慣が身について一日一日と過ごし、江戸を離れて故郷へ帰ろうという気持ちには決してならない。また江戸に年久しく住んでいる間に、故郷に残してきたわずかな田地もなくなり、もとの家にも他人が住んでいるから、おのずから帰るにも帰りようがない。幕府で帰らせようとしても、江戸を追い出されると思って、はげしく恨む心を抱くであろうから、諸大名に対する外聞もわるく、人道に反した政治であるなどとの批評を招くであろう。

【参考文献】
速水融『歴史人口学の世界』
荻生徂徠『政談』