LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

百年前の理想都市②

【百年前の理想都市②】
    「国土の過疎過密の問題については、五万人程度の小都市の先行きに見通しが示せなければ、何を言ってもダメだ」と下河辺淳は言った。百年前、E.ハワードは三万人程度の小さな都市を衛星都市にする田園都市論を唱えた。一方のドイツでは、これとは異なる地方の小都市論が謳われたという。
 百年前のドイツの国土計画を日本に持ち込んだ人物として、北村徳太郎があげられる。昭和の大合併(1950’s)において、およそ200の自治体が町から市に昇格した際、これら新市に都市計画の指針を示した人物である。
    北村徳太郎は1890年代の生まれであり、戦前から戦後にかけての日本を支えた世代にあたる。高度経済成長期以降に活躍した下河辺は、1920年代の生まれであり、北村よりも後の世代にあたる。北村の議論は、下河辺の世代には引き継がれなかったとみられる。
    北村によれば、第一次世界大戦後のドイツの国土計画は、自由貿易の弊害を是正するものだった。
 自由貿易によって、アジアの発展途上国(当時は日本)から安い労働力でつくられる量産品が国際市場に流入していった。これによりドイツ工業は、貿易上不利に立たされたため、関税をかけて自国の工業を保護し、さらに農村を振興して農民の購買力を引き上げ、国内で経済を発展させていく方針をとった。したがって、大都市から農村に工業を分散して、地方に新たな小都市を築いていったという。
 また、第一次世界大戦におけるドイツ敗戦の原因の一つとして、農業衰退による食料不足があげられた。その結果、政治的独立を得るためには自給自足が不可欠であるという認識にたち、食料安定確保のためにも農村振興が求められたという。

即ち一方で世界貿易を行いながら一方において自給自足の両天秤をかけるという方針のもとにおのずから新しい考えとして、地方自立都市、いわゆる一つの経済圏、一つの地方の経済圏に立ち、それを中心に農村の日常の便益をたすためにある程度の集落の如き所に農民の雑貨等を得る小町を造り、その小町の幾つかの中心に人口二万か三万程度の都会を作り上げ、そこには大都市から工場を解体し、地方の都市を造るという考え方が出来た。(1)

新都市を外からと内からと眺めて、外からは経済圏に立つ自立都市であり、農村が世界を見る窓でもある。つまり農民の部落の幾つかに、農民日常の便をたすに足る小町を配し、これを農村の一生活圏とし、その幾つかの中心に新たに建設される都市を言うのである。(2)

 ところで、昭和の大合併によって生まれた「新市」は、3万~5万人程度の地方小都市だった。北村は、それらの「新市」に対して、ドイツの国土計画における「新都市」と符合させ、工場誘致により地域振興をめざすだけでなく、周辺農村との連携を密にし、一つの自立した経済圏を形成していく道を説いた。その中心には半径一キロ強の市街地をつくり、月に一度足を運ぶ公共施設や市場をそこに集約させ、まわりの農山村の人口が大都市へ流れないようにする構想である。
 北村の国土計画は、農村振興を主目的にかかげたものであったために、当時の政府から受け入れられていたとは言い難い。高度経済成長に入った日本は、エネルギー等資源を海外に求めて、自由貿易を拡大していった。加えて、全国総合開発計画(1962)は、新産業都市・工特都市などの50万人規模の拠点都市への公共投資を掲げていた。それらの政策により、国内の林業や鉱業は衰退し、山村は過疎化していった。また、当時の地方公共団体財政赤字に悩まされており、新市に昇格した自治体の多くは財政再建団体に指定され、自治庁の調整の下で公共投資が抑え込まれていたという。こうした経緯もあり、北村の議論は下河辺の世代にとっては有用ではなかったのであろう。
 ただし、それは自由貿易によって繁栄が得られた時代の話であって、世の中の状況が百年前と同じようになれば、北村の議論が時代遅れかどうかはわからない。高い関税によって自由貿易が低調化し、またコメなどの食料不足が課題になる時代がくれば、北村の国土計画論もまた息を吹き返すかもしれない。

(1)北村徳太郎「新しい都邑計画について」『現下の都市計画の諸問題』(1957)
(2)北村徳太郎「新しい都市の建設」『市政』(1954)

百年前の理想都市

 下河辺淳は、1993年のインタビューで、21世紀の国土計画は小都市に興味をもつべきだという言葉を残している。20世紀の国土計画は大都市の計画に重きをおいてきたが、それにより”都市は大きくなければならない”という思想が生まれたという。下河辺はこれをイデオロギーとして疑問視しているのだ。

何かプランナーの頭の中には、拠点都市の思想の中に、一つの都市で都市機能がワンセットそろっていることが拠点の原点、という考え方があるのではないかと思います。それだけに、最低三十万人とか、理想的には百万人ぐらいの規模がないと、拠点都市たり得ないという議論がまだ少しありますね。(中略)
もっと根本的に、大規模な都市でなければ充実しないという思想から離れないと、永遠にだめだと思うのです。私は国土で過密・過疎を論ずる時に、五万人都市が生きる道ということに何か先が見えてこないと、何言ってもだめなのでないかという気がするのです。

 こうして遷都論をめぐっても、五万人ぐらいの小都市に国会を移転するのはどうかと明言していた。
 下河辺の批判する「拠点都市の思想」というのは、現在でも流行している。例えば、東京一極集中に関する議論には、数十万人規模の都市を人口流出の防衛拠点として位置づけ、その防衛拠点へ効率的に投資をしても、より小さい集落への投資は控えるべきとするものがある。これもテーマが異なるだけで、都市は大きくなければ機能しないというイデオロギーにもとづいた意見と言える。
 東京への一極集中が抑えられたところで、別の場所への一極集中が起きるのであれば、過疎・過密の解決にはなっていない。「五万人都市の先行きに見通しが示せなければ何を言ってもダメだ」という下河辺の指摘は、国土や地域を考える人間には刺さるのではないか。
 今から百年前、アムステルダム国際都市計画会議で7カ条の決議が行われた。その会議には、石川栄耀ら4人の日本人が参加していたという。決議の内容は、大都市の無制限な拡張を警戒し、衛星都市への分散を推奨するものだった。このときの主催団体の会長は、かのエベネザー・ハワードであり、そのため7カ条でいう衛星都市とは概ねハワードの田園都市と重ねて考えて差支えない。
 田園都市というと、約三万人の小さな都市であり、何十万人まで大きくすることは想定されていない。ハワードは意外にも、現代と同じような問題意識を抱えて田園都市を提言していた。つまり、大都市ロンドンへ人口が流入し続け、イギリスの地方が寂れていくという問題である。

しかしながら、意見がほとんど分かれることのない問題が一つある。それはほとんどありとあらゆる党の人々が合意している問題だ。それもイギリスだけに限らず、ヨーロッパ中もアメリカも、われわれ植民地でも合意されている。その問題というのは、人々がすでに過密となっている都市に相変わらず流入を続けており、そしてその一方で地方部がますますさびれていく、という問題である。

 百年前の理想都市は、大都市の人口分散を目的としてはじまった。そして、ハワードはこの問題の考え方について、はじめから本質的なことを言っていたように思う。

人々が都市に集まってくるとき、過去にどんな力が働いて、いまどんな力が作用しているにせよ、そうした原因はすべて「魅力」のひと言にまとめてしまえるのである。したがって、どんな対処方法であっても、それが人々(少なくともそのかなりの部分)にいまのわれわれの都市より大きな「魅力」を示さなくては、有効に機能するわけがない。古い「魅力」を新しくつくられる新しい「魅力」が凌駕しなくてはならないわけだ。

 大都市から小都市へ人口を動かしたいなら、その小都市の方がより大きな魅力を備えなければならない。田園都市は、その方法のうちの一つとして提言されたのだから、下河辺の求めていた国土計画論にも通じるものがあるのではないか。
 日本でも田園都市に言及した議論は、全くなかったわけではない。大ロンドン計画を模倣した首都圏基本計画が施行された時期もあれば、田園都市国家構想というのが総理大臣によって提唱された時期もある。あるいは新産業都市建設など国土の人口分散のための政策も講じられた経緯がある。
 しかし、それらがすべて約三万人程度の小都市に投資する政策論だったとは限らない。たとえば、首都圏基本計画において衛星都市(市街地開発区域)として指定された地域には、高崎・前橋、宇都宮、水戸・勝田など北関東の主要都市があるが、これらは現在30~50万人程度の都市圏に成長している。新産業都市も同様に数十万人という規模の都市圏である。これらは「田園都市」ではなく「拠点都市」というわけだ。
 一方で、三全総の定住圏など田園都市論に近しい構想も提唱されている。下河辺は「定住圏の考え方は今後の国土計画でも中心的なテーマになりうる」と語っていた。定住圏構想は水系主義にもとづき国土の人と自然の関係をあつかった議論なのだから、そのような普遍的な問題は21世紀でも議論されるだろうというわけだ。
 具体的な公共事業や個別の計画というのは、政治的な事情や状況の変化で、縮小されたり中止に追い込まれたりする。しかし、その事業や計画を支える思想というのが変わらない限り、同じような事業は繰り返し計画されて、いつの日か陽の目をみる。21世紀に田園都市が陽の目をみる可能性だってある。

【参考】
・『戦後国土計画への証言』下河辺淳
・『明日の田園都市』エベネザー・ハワード
・『地方消滅』増田寛也

アメリカ人都市研究者による高密度化の都市計画に対する批判

アメリカ人都市研究者による高密度化の都市計画に対する批判】

グローバル化と脱工業化によって、世界の多くの大都市はチャンスの集まる場所から、貧富の格差の激しい場所へと変貌を遂げた。今日、パリ、ロンドン、東京、ニューヨーク、サンフランシスコといった世界の大都市は、資産家や高学歴の人にとっては魅力的なところだが、中流・労働者階級にとっては夢も希望もない場所である。

 アメリカの都市研究者ジョエル・コトキン氏は、現代の都市計画とくに大都市で推し進められてきた高密度化の政策について手厳しく批判している。

多くの都市では「高密度化(densification)」の推進により、手頃な価格の中古アパートや戸建て住宅に代わって、富裕層の単身者や子どものいないカップル向けに高級マンションが建設されることが多い。(中略)これは単に市場原理の結果と考えれば済む話ではなく、都市の政界・経済界のリーダーたちが推し進めてきた計画の結果でもある。彼らはエリート企業やグローバルな富裕層、高学歴の人材を誘致するために、しばしば貧困層中流階級を都市の外に追いやるような政策を採用している。

 アメリカの主要都市について、全世帯を所得階級別にみたときに最上位所得層と最下位所得層との格差が最大になるのは、サンフランシスコ、ニューヨーク、サンノゼ、ロサンゼルス、ボストンといった名だたる大都市だという。仮に、ニューヨーク市を一つの国家とみなすと、不平等レベルは134ヵ国中第15位となり、チリとホンジュラスのあいだに位置するものといわれる。
 こうなってしまったのは、近年のアメリカの大都市が高層オフィス・高層マンションの建設によって富裕層と高学歴者をその中心部に引き寄せてきた一方で、土着の労働者と中流階級を住宅価格の高騰等によって遠ざけて、それと入れ替わるように移民とその子孫を貧民街に吸収してきたからだという。「今日、大都市は富裕層と高学歴者を引き寄せ、貧困層の住民は周辺部に追いやられ、その中間がほとんどがら空きの状態が続いている。」
 また、大都市の魅力に引き寄せられて集められる若者というのは、いつか住宅を購入し、子どもを持ちたいという望みを叶えるため、物価の高い都市に長く居続けることはなく、自分の人生の「都市生活時代」を満喫したのちに他の場所へ引っ越していく短期滞在者となってしまう。このことから大都市では子育て世帯も数を減らしてきた。2011年から2019年までのあいだにマンハッタン地区で毎年生まれる子どもの数は15%近く減少し、ニューヨーク市全体では9%減少、今後30年間で当該地域の乳幼児人口は半減する可能性が指摘されている。
 このように、高密度化の政策を実施した大都市では、定住者となる中流階級、子どもをもつ家族が都市の外へ出て行ってしまうことで、ジェイン・ジェイコブズが追求したような人間味のある街路近隣からは程遠いものになっているという。

新しい都市景観は、高所得国の主要都市でよく目にする、同じような街並み、同じような店舗、同じような人びとが集まる、驚くほど似たり寄ったりのものとなっている。(中略)
 ニューヨークのようなエリート都市は、中所得層(特に子持ちの住民)が大量に流出していることを考えると、もはやジェイン・ジェイコブズが愛情を込めて描いた歓迎すべき都市の隠れ家(urban havens)とは似ても似つかぬ場所になっている。中流階級の都市住民が都心部に自分たちの居場所を取り戻せるという彼女の希望は非現実的なものに思える。

 国際的な大都市で高密度化の政策を進めてきた立役者としては、政治家と不動産業者をあげることができる。しかし、コトキン氏によれば、それだけでなく都市計画家、学者、評論家の責任も無視できないという。中流階級や子育て世帯の多くは、戸建て住宅をもち、自家用車で移動するという郊外のライフスタイルに支えられてきた。現代の都市計画家たちは、そうした郊外居住者のライフスタイルにあえて低い評価を与えることで、大都市の高密度化にお墨付きを与え、階級格差などの弊害を棚に上げてきた。

オーストラリアの都市学者で建築評論家のエリザベス・ファレリーは「郊外は退屈の象徴です。むろん、退屈で、平凡で、ありきたりな生活がお好きな方もいらっしゃるのでしょうが」と述べ、さらに「たとえ彼らの住む郊外が世界を破壊することになるとしても、彼らと一緒に喜んであげたい」と皮肉っている。(中略)
 建築史家のロバート・ブルーグマンが述べているように、都市計画家は昔から中流階級の郊外生活への憧れを無視し、軽んじてきた。加えて、彼らの動機は大概「階級が基準」となっており、ヒエラルヒーが明確に存在し、社会的上昇の機会や上流階級以外の人びとの境遇を改善する機会が制限されていた前近代のパターンを復活させようとしている。
 郊外居住者のライフスタイルを攻撃することは、事実上、中流階級を社会的に崩壊させることを意味する。中所得者世帯が都心から締め出されているにもかかわらず、都市計画家たちは、大多数の人が実際に望ましいと考えている代替案を封じようとしているのである。

 日本ではとくに港区の再開発で格差社会を映し出すような都市計画が行われている。先月、麻布台ヒルズのタワー展望台に行ってみたが、そこは一般人のエリアとヒルズのメンバーのエリアに分かれていて、お互いが接触しないよう壁で仕切られていた。
     こうした都市のプロジェクトがジェイコブズの理想からほど遠いことは誰にでも分かる。

 

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【参考】
・ジョエル・コトキン『新しい封建制がやってくる グローバル中流階級への警告』

江戸の人口ブラックホール

【人生の残りの時間について】
 昨年のうちに、おめでたいことに2人の友人にそれぞれ子どもが生まれた。つまり彼らは父親になった。友人が親になったというのは、実際その赤ん坊を目の当たりにしても、なかなか実感がわかない。
 赤ちゃんのお世話は大変そうだ。同じ職場にも1~2歳の子どもの世話をしている先輩がいるが、いつも子供の体調不良や睡眠時間に影響を受けて、仕事を後にすることが多い。
 たぶん子どもが生まれたら、自分のために割ける時間は全くなくなってしまうんだろう。仕事と育児に必要な時間を充てているうちに、やりたかったことは置き去りになるに決まっている。そして子供が大きくなった頃には、誰もが若さを失っているはずだ。それで病気にでもかかったら、あとはお迎えを待つだけになってしまう。
 社会人になって何年か経つ間に、自分の人生で残された時間はどれだけあるのか、分からなくなってきた。大学生の頃は、好きなことに100%の時間を費やすことができた。自分にはなんと膨大な時間が残されているんだろうと思っていたが、その感覚は日に日になくなっていく。遠出の旅もあと何回行けるか分からない。
 人生の時間というは意外と短いのだなと思う。

 

【江戸の人口ブラックホール
 速水融氏は、日本の歴史人口学の大家とされている。
 同氏の研究分野は、江戸時代の人口動態についてであるが、それを幕府や各藩が残してきた「宗門改帳」の記載を追っていくことで解明したという。
 彼の研究において主要な成果とされている発見の一つに、「都市蟻地獄説」というものがある。ヨーロッパの歴史人口学にも「都市墓場説」と呼ばれる類似の学説があり、速水氏の発見と同時代に発表されたという。それは次の様なものだ。
 江戸時代の日本人口を概観すると、17世紀に増大(12百万人→30百万人)、18世紀に停滞(30百万人)、19世紀に再び増大(30百万人→36百万人)となっているそうだが、18世紀に人口が停滞したのは、単に人口の増減がなかったのではなく、農村の人口流出と都市の人口流入による相殺が起きていたためだという。例えば、関東圏では江戸に人口が流入し続ける一方で、北関東からは人口が流出し続けた。また近畿圏では大阪に人口流入が続き、周辺地域から人口流出が続いた。
 18世紀の江戸・大阪は、飢饉や疫病の影響により死亡率が高く、そして晩婚化が進み男女比もアンバランスだったことで出生率は低く推移した。そのため、江戸・大阪の人口は放っておけば減少し、人手不足となっていくはずだったが、それを周辺の地方から絶えず若者を受け入れることで補給してきた。その一方、地方の農村では子供をいくら生んでも自然増分の人口が大都市に吸収されてしまい、むしろ人口減少に陥っていたという。
 こうして大都市が人口のブラックホールと化しているというのが都市蟻地獄説の概要になる。
 現代でも、大都市の低出生率と地方からの人口流出というのは見受けられる。東京および首都圏の出生率は全国の中でもっとも低い方だ。地方は経済停滞が続いているから人口がどんどん流出していく。技術が進歩しても、東京が人口ブラックホールであることに変わりはない。多くの若者は東京に憧れを抱いて上京するが、実際のところ、そのほとんどは蟻地獄の穴に落ちに行っているようなものだ。
    江戸時代の上京した人間の苦境について、荻生徂徠は人帰し令を提案しながらこう言っている。

 いま江戸の城下町に居住している者の多くは、諸国出身の者であるから、右の限度に従って江戸の人口を限定し、それ以外の者はすべて諸国へ帰らせるべきである。帰らせる方法としては、その出身地の領主に命じて、人帰しを実施させればよい。民衆というのは愚かなもので、将来についての思慮のない者である。江戸での生活が苦しくなっても、その日暮しの生活をなんとか送ってゆけるのは江戸だけであるから、その習慣が身について一日一日と過ごし、江戸を離れて故郷へ帰ろうという気持ちには決してならない。また江戸に年久しく住んでいる間に、故郷に残してきたわずかな田地もなくなり、もとの家にも他人が住んでいるから、おのずから帰るにも帰りようがない。幕府で帰らせようとしても、江戸を追い出されると思って、はげしく恨む心を抱くであろうから、諸大名に対する外聞もわるく、人道に反した政治であるなどとの批評を招くであろう。

【参考文献】
速水融『歴史人口学の世界』
荻生徂徠『政談』

ゲーテの都市論

ゲーテの都市論】
 ゲーテはドイツの統一について肯定していた。

ドイツが統一されないという心配は、私にはない。立派な道路ができて、将来鉄道が敷かれれば、きっとおのずからそうなるだろう。しかし、何をおいても、愛情の交流によって一つになってほしい。つねに、外からの敵に対して団結してほしいものだ。ドイツのターレルやグロッツェンが全国で同一の価値を持つために、統一してほしいよ。私の旅行鞄が全部で三十六の国を通るたびに開かれないでも済むように、統一してほしいな。

 全国津々浦々への移動が容易になり、あらゆる場所に同一の価値が与えられれば、国民どうしの連帯を期待することができる。公共事業の第一の役割はそこにあり、その意味で高速道路や新幹線を建設することは大いに結構なことだと、ゲーテなら言っただろう。
 ところが、ゲーテは翻って次のように言う。

けれども、ドイツ統一の内容が、大国らしい唯一の大規模な首都を持つことであり、この一つの首都が、一人一人の偉大な才能を伸ばすために有益であるとか、国民大衆の福祉になるとかいうのなら、それはまちがっている。

ドイツが偉大であるのは、驚くべき国民文化が国のあらゆる場所に均等に行きわたっているからだ。ところで、国民文化の発生地で、その担い手となり、育ての親となるのは、各王侯の城下町ではないか。もしも、数世紀来ドイツに二つの首都、ウィーンとベルリン、あるいはただ一つの首都しかなかったとすれば、いったいドイツ文化はどうなっているか、お目にかかりたいものだ。

 ゲーテは巨大都市というものに否定的だった。ドイツの統一は認めていたが、ドイツ国土の一極集中は認めなかったのだ。「みんなが大都市に集まって競争し合えば、優れたコンテンツや優秀な人材が生まれてくるだろう」という現代人がいる。そういう主張をゲーテは退け、全国の各地で自然と養われている文化を尊重すべきだという。

ドイツには、全国に分散した二十以上の大学、百以上の公立図書館がある。それに美術館、自然界のあらゆる物を集めた博物館も、同様に無数にある。というのも、諸侯がこういう美しいもの立派なものを側に集めようと配慮されたからだ。高等学校や工業学校や商業学校も、あり余るほどある。いや、学校のない村は、ドイツにはほとんどないね。けれども、この点について、フランスの有様はどうだね。

 フランスではパリ一極集中が起きていたという。パリの中央政府はフランス全土のあらゆる公務に介入し、逆にフランスのあらゆる地方がパリからの通知を待っていた。
 デュパンというフランスの女流画家は、フランス国土の文化水準のありさまを地図に描いて見せた。それによれば、開発が進んでいる州は明るい色で塗られる一方で、首都から遠く離れた南部の諸州は、真っ黒に塗られていたという。

フランスのようなすばらしい国には、一つの大中心地ではなく、十の中心地があって、そこから光明と生命が流れ出ているほうがよいのだよ。

 ゲーテがどうして国土の均衡を重視する考えにいたったのか、その経緯は分からない。ただし、その見解は石川栄耀や田村明などの偉大な都市計画家と同じだ。彼らは東京が大きくなり過ぎることを懸念し、地方都市の役割を重視していた。
    ゲーテの言っていることは日本にもそのまま当てはまる。

ドレスデンミュンヘンシュトゥットガルトやカッセルやブラウンシュヴァイクやハノーヴァーというような都市を考えてみたまえ。これらの町々がその中に蓄えている大きな生活物資を考えてみたまえ。そこから近隣の地方へ及ぼす影響を考えてみたまえ。その上で、もしこれらの都市が昔から王侯の居住地でなかったなら、すべてはどうなっていたかを自分に問うてみればいい。
フランクフルトやブレーメンハンブルクリューベックは、大きくて、見事な都市だ。それらがドイツの国富に及ぼす影響は、まったく数えきれないよ。けれども、もしそれらの都市が独自の主権をなくしてしまい、地方都市としてどこかのドイツの大国に併合されていたら、今日の姿はありえただろうか。―私は、当然、疑わしいと思う。

 

(参考)
エッカーマンゲーテとの対話(下)』
アレクシス・ド・トクヴィル『旧体制と大革命』

神宮外苑の問題

神宮外苑の問題】

    神宮外苑の再開発問題が佳境に差し掛かってきたように思う。ある意味では、今回の再開発事業は象徴的なケースになるかもしれない。
    同再開発事業は、2021年末の都市計画縦覧によって内容が公表された。当時から1,000本近くの樹木が伐採されるなど現存する自然環境を刷新する内容であったことから、地元住民をはじめとして環境専門家、建築家、一部の政治家により反対運動が行われてきた。一方で、三井不動産をはじめとする事業者側は、伐採本数などの計画変更を行ったものの、住民説明や環境アセスメントなど合法的な手続きを経ているとして事業を粛々と進め、2023年2月には事業認可を取得、3月より球場の解体工事に着手した。
    ところが、同時期にアーティストや小説家などの著名人により事業反対の意見表明が次々と行われたことから、世論とメディアは住民側を後押しするようになる。さらに、かねてから事業者の環境アセスメントに不備があるとして再開発の計画見直しと試案を提言していた国際記念物遺跡会議(イコモス)は、9月に緊急要請「ヘリテージ・アラート」を発出した。
    その後、東京都は9月から伐採する工程を改めて、事業者側に伐採着手まで「具体的な見直し案」を提示することを求める要請文を提出し、問題の樹木伐採を先延ばしにした。住民側は依然として計画の見直しを求めて反対運動を続けている。
    この件については正直詳しくは知らないけれども、分かることが二つある。
    一つは、この問題の本質は環境や財政にあるのではなく、政治的な問題であることだ。住民側は、彼らの憩いの場であった唯一無二の植生を守ろうと事業に反対している。事業者側は、再開発によって環境的にも明治神宮の財政的にも改善すると事業を正当化している。また、住民側は事業者の情報開示が不十分だとして工事の中止を求めているのに対して、事業者側は既に十分な説明をしたとして伐採に踏み切ろうとする。
    両者の言い分は、対立が始まった頃からずっと平行線をたどっており、和解困難というよりは不可能に近い。要するに、ここで争われているのは、「どちらが神宮外苑のためになるか」ではなく、「神宮外苑はどちらのものか」ということだ。事業者にしても住民側にしても、土地の主導権を得るために政治力を行使している点で、もはや紳士的に議論できる状態ではなくなっているだろう。
    そして主導権は事業者側と住民側のどちらにあるべきかという点だが、そこは各人が自分の胸に聞いてみるしかない。
    もう一つ分かることは、たいへん残念なことだが、事業者と住民側を調整するために都と国が機能していないことだ。東京都は、本件に限らずこれまで再開発の実施を民間企業に依存してきたものだから、事業者の肩をもつしか選択肢がなかったようだ。一方で、住民側の代弁者の役を果たしているのは国の機関でもなく、イコモスのような国際機関、あるいは著名な文化人であり、彼らが毅然と主張したので住民側の言い分にスポットライトが当てられることになった。
    裏を返すと、国と都が調整機能を果たしていれば、神宮外苑の問題はここまで悪化しなかっただろう。過去の公害対策のように、どこかの時点で民間企業を牽制していれば、都や国は住民側から信頼を維持できたかもしれない。しかし、ここ二十年以上は国策により民間企業の要望が優先され、規制緩和に明け暮れてきた。今回の問題は、民間主導の再開発政策の末路とも言える。

参考:https://www.tokyo-np.co.jp/tags_topic/jingu_gaien

 

【フェデラル・ブルドーザー④】

    ニューヨーク大都市圏調査会の委員長だったレイモンド・バーノンによれば、半世紀前のアメリカの再開発を推進してきた人間には、富裕エリートと知的エリートの二つの層があったという。(1)
    現実には、再開発政策は富裕層のマンションと商業施設をつくるためのものだった。しかし、そのことを表向きに主張しても幅広く支持される政策にはならない。再開発は、それが「理想的な都市をつくるためには必要なことだ」という知識人のお墨付きがあって公認される。表向きの再開発政策の推進者は、この理想に燃える類の知的エリート層だったという。
 往時のアメリカでは、ル・コルビジュエの描く機能と効率を追及した「輝く都市」が理想視されていた。それで時の権力者は、大都市に高層ビル、幹線道路、芝生を量産しようとしていたが、それをコルビジュエを引用することで正当化した。だから、当時の再開発を批判した都市計画家(J.ジェイコブズやL.マンフォード)たちは、同時にコルビジュエのことを批判していたのである。

ル・コルビジュエは歴史の重みを持った伝統的形態を軽蔑したために、過去との繋がりを失ったばかりでなく、同様に現在に関してもどれほど多くのものを失おうとしているかを認識できなくなってしまったのである。「公園の中の都市」という彼の新しい構想は、自然についても、都市と公園の機能についても、誤った認識に立つものであった。(2)

 現代の東京では、「世界都市」という理想が掲げられてきた。「世界都市」の建設は、20世紀末からはじまったグローバリゼーションという時代の変化と期を一にしている。世界が一つの経済圏につながることで、生産の現場は世界各地に分散するが、金融の機能は特定の大都市に集中し、企業の中枢もそこに集まっていく。このような都市をサスキア・サッセンは「グローバル・シティ」と呼び、ニューヨークならタイムズ・スクエア、ロンドンならドックランズ、東京なら臨海副都心という具合に、1980年代からそれぞれの都市で金融の自由化とともに大規模な再開発が行われていたことを指摘している。(3)
 要するに、グローバル・シティとしての繁栄を謳歌していくことが、これまでの東京都の目標であったといっても良い。それは東京都だけでなく、中央政府の方針でもあった。例えば、2015年の国土形成計画(全国計画)には、このような記述がある。

国際間でのヒト、モノ、カネ、情報の流れはますます活発に、かつ瞬時に行われるようになっている。このような中、経済発展と戦略的、重点的な施策展開により魅力を増したアジアの主要都市が急速に台頭しており、国際的な都市間競争は激化している。(中略)国際的な都市間競争に打ち勝つためには、国際間、とりわけアジアの中での活発な流れの中で、「開かれた国土」の考え方の下、優秀なヒトやモノを集積し、海外からの投資、情報を獲得することが重要であり、そのためには、東京を始めとする大都市においてこれらを呼び込むための環境整備が課題である。(4)

 これは東京一極集中を是認し、再開発政策を擁護してきた知識人の見解と概ね一致する。グローバル化の時代においては、世界レベルの都市間競争に打ち勝つためにも、東京への集中的なインフラ投資もやむを得ないというわけだ。そして、リニア中央新幹線によって結ばれる三大都市圏を「スーパー・メガリージョン」と位置づけ、世界を先導する巨大経済圏を築くというのが、2015年の国土形成計画の方針であった。
 もちろん同計画では、地方にも配慮して「東京一極集中の是正」について触れてはいる。しかし、その指針は「コンパクト化」だとされており、地方の人口が減少することを前提にしている。地方都市はコンパクトシティに甘んじなければならないのに対して、大都市ではメガリージョンを築こうというのだから、それで国土の均衡ある発展に配慮しているとは思われない。2015年までは国土計画でも、「世界都市」の理想が踏襲されてきた。
    確かに、この先も平和な世界が続いて、海外ビジネスの光輝くグローバリゼーションが未来永劫と続くのであれば、「世界都市」の整備方針も間違いではないかもしれない。「東京は世界の都市間競争に勝たなければいけない」という宣伝文句も、現実のものとなり続けたことだろう。
 しかしながら、ここ数年の世界情勢はどうだろうか?
 新型コロナウイルスパンデミック以降、ウクライナ戦争は世界インフレをつくりだし、東アジアでは台湾有事が取り沙汰されている。世界はグローバリゼーションから本格的に逆行しはじめたというのだ。この変化は、パンデミックになって生まれたのではなく、もともと始まっていたグローバル化から逆行する世界の動き(リーマンショックブレグジット、トランプ現象など)に、追い打ちをかけたものだという見方がある。(5)その背景には、アメリカの地位が国際社会で絶対的でなくなっていることがあり、超大国が不在のまま、崩れた世界情勢が直ちに安定化することはなく、世界をまたにかける類の経済活動は今後とも停滞を余儀なくされるという。
 ここで、国交省の役人に問いたいのだが、これまでの「国際間でヒト、モノ、カネ、情報を呼び込み世界を先導する大都市をつくる」という戦略には、どれだけの意味があっただろうか?国際的に自由な経済というのは、それを支持する国際政治の安定があったからこそ可能となっていたものだ。世界の都市間競争というのも、その「世界」は平和であることを前提にした話だった。
 これからは国家間の対立の時代、キナ臭い話が徐々に持ち上がっていく。そうなれば国際競争力とは各国の軍事力によって示されることになり、大都市の魅力で競争しようなどというのは、青臭い話でしかなくなる。
 むしろ、大都市に人が集積すればするほど、物資の補給源は海外からの輸入ルートにつよく依存してしまう。世界の流通網がいつどこで寸断するか分からない時代では、国内資源が乏しいにも関わらず巨大都市を抱えることほど、戦略的には不利にはたらくだろう。実際に、2023年の国土形成計画(全国計画)では、「国際情勢の緊迫化によって、エネルギーと食料の海外依存リスクが深刻化している」という点が書き加えられた。

緊迫化する国際情勢の下で、エネルギーや食料の海外依存リスクを軽減するため、省エネルギーの徹底や、再エネの最大限の導入、安全性が確保された原子力の活用等を含め、エネルギーの安定供給の確保を前提とし、再エネや原子力等の脱炭素電源への転換を戦略的に進めるとともに、肥料・飼料・主要穀物国産化推進など、食料安全保障の強化に向けた農業の構造転換を実現する国土づくりを推進する。(6)

 しかし、その「海外依存リスク」を最大限に深刻化させていたのは、まさに日本の知的エリートと富裕エリートが推し進めてきた「世界都市」戦略だったはずだ。今さら、省エネや食料国産化が喫緊の課題だと言われたところで、これまで国土の均衡ある発展を軽視して、大都市圏に人口を集めていたのだから自業自得だろう。
 果たして「世界都市」を目指してきた一連の再開発政策は、日本の国力を高めていたのか、実は低下させていたのか。本当のところは、「どっちだろうと知ったことではない」と思っているのではないか。

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(1)マーティン・アンダーソン『都市再開発政策 その批判的分析』
(2)ルイス・マンフォード『現代都市の展望』
(3)サスキア・サッセン『グローバル・シティ』
(4)https://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/kokudokeikaku_fr3_000003.html
(5)中野剛志『世界インフレと戦争』
(6)https://www.mlit.go.jp/kokudoseisaku/kokudokeikaku_fr3_000003.html

わざとらしいデザインの高層ビル

【わざとらしいデザインの高層ビル】
 J.ジェイコブズは、再開発でディベロッパーの建てるビルにはわざとらしく奇抜なデザインが多いことを指摘していた。それは結局のところ、ディベロッパーのビルは用途が同じようなものばかりだから、外観で意図的に違いを見せようとする動機がはたらいているからだという。

用途が実際に均一なところでは、しばしば建物ごとに、意図的なちがいや差異が図られているのをよく見かけます。でもこうした仕組まれたちがいは、美的な混乱も引き起こします。というのも本質的なちがい - 本当にちがった用途から生じるちがい - が建物やその環境には欠けてるので、その仕掛けは単に、ちがって見えたいという欲望を表しているだけなのです。※

 確かに、現代も再開発でつくられたビルには意図的なデザインが多い。妙にねじれた構造になっていたり、表面がカーブを描いていたりと、頑張って個性を発揮しているらしい。しかし、その中身のほとんどはオフィス、ホテル、高級マンション、商業施設のいずれかである。
 最近の再開発では、環境に配慮しようとして高層ビルに草を生やしているものが多い。地上を緑化しているだけでなく、屋上まで緑化しているものもある。しかし、「環境のため」というのはしらじらしい。環境を大事にしたいなら、そもそも高層ビルの方を造らなければいい。
    東京の再開発は、「各企業がそれぞれのエリアで個性を出している」といわれているが、端から見れば皆同じではないか。ジェイコブズの指摘は、むしろ今の東京にあてはまる。

街路や近隣で用途が均質になればなるほど、残された唯一の方法でちがって見せようという誘惑は強くなります。ロサンゼルス市のウィルシャー大通りは、わざとらしくひねりだされた派手なちがいが次々に並ぶ、何キロも続く本質的には単調なオフィスビルの見本です。※

※『アメリカ大都市の死と生』

 

【フェデラル・ブルドーザー③】
 マーティン・アンダーソンは、1949年にはじまるアメリカの都市再開発事業が多くのマイノリティに立ち退きを強制していることを批判した。
 都市再開発政策は、はじまりこそ低所得者の住居を確保するためのものだったが、1954年の法改正によって商業・業務地区を整備するプログラムとしての性格を強め、民間ディベロッパーが利益を得る仕組みになったという。
 このようなアメリカの都市再開発政策は、連邦政府の方針転換によって止まった。
 1963年に生まれたリンドン・ジョンソン政権は「貧困戦争」を掲げて、民間ディベロッパーの影響力を弱めるため、1968年までに都市再開発政策の制度改正を行った。これにより再び低所得者向け公営住宅の供給を増加させる方向に転換し、従前の再開発事業により除去された住宅と同じ戸数の住宅建設が義務化されたという。(1)
 アンダーソンが指摘したように、一連の都市再開発事業は市場の産物ではなく、政治の産物なのだとすれば、それが終了するのもまた政治の変化に由来している。そういう筋書きを半世紀前のアメリカからは引き出すことができる。
 東京の再開発政策は、1980年代から今に至るまで40年近く継続されている。あまりに長いので、東京周辺ばかり開発され続けている状況が、もはや当たり前のことだと思われているかもしれない。しかし、それは東京にビジネス・チャンスが溢れているからではなく、基本的な日本の国土政策方針が1980年代から変わっていないからだ。
 1982年に成立した中曽根政権は、「アーバンルネッサンス」を掲げて、第四次全国総合開発計画の素案を大都市重視の内容へと修正した。この時期から東京を「世界都市」として位置づけ、「世界に冠たる大都市を実現するための都市基盤を整備すべき」という発想が、東京都や中央省庁などの間で増えていったという。(2)
 2001年に総理大臣となった小泉純一郎は、当時の所信表明演説でこう言い放った。

都市の再生と土地の流動化を通じて都市の魅力と国際競争力を高めていきます。このため、私自身を本部長とする「都市再生本部」を速やかに設置します。(3)

 実際に翌日の閣議決定で、都市再生本部は設置された。都市再生本部は、民間企業を含めて再開発事業の提案を募集した上で、再開発を円滑にするための要望を聞き入れた。そして、その要望リストが「都市再生特別措置法」の原案となった。その法律が適用される都市再生緊急整備地域は、当初3,515haが指定されたが、その内2,370haが東京都内、947haが大阪駅周辺である。(4)
 アンダーソンは、再開発事業が地方ではなく大都市に集中することを指摘していた。当時の連邦都市再開発事業を実施している都市を集計した結果では、人口100万人以上の都市が100%、人口25万人〜100万人の都市が80%、人口10万人以下の都市は11%であったという。(5)大都市ほど中央政府の影響を受けやすいというのは、今も昔も変わらない。
 もう一つ大事な点として、東京の再開発政策は、二度の金融ショックにより危機的な状況に陥ったが、その度に中央政府によって救済されてきたことがあげられる。
 1990年頃の不動産バブル崩壊の際には、企業が投資目的で所有していた市街地の土地が不良債権化したが、中央政府は民間都市開発推進機構(MINTO機構)を介して、それらの土地340haについて約1兆円に及ぶ買上げから開発までの公的支援を実施している。(6)一部の新聞では、MINTO機構は企業の「駆け込み寺」と呼ばれた。(7)
 また、その後のリーマンショックでは不動産証券市場の規模が4分の1まで落ち込んだが、中央政府は国家戦略特区などの新たな優遇措置を設け、日銀によるマイナス金利政策、J-REIT買上げなどの金融緩和を講じた。それによって不動産証券市場を再興させ、再開発事業の資金繰りが成立する仕組みを整備した。再開発組合は完成した物件をSPCに売却し、またSPCからJ-REITに売却されれば、物件の経営リスクがディベロッパーの下から離れてしまう。(8)2020年9月時点の日銀のJ-REIT保有額は7,074億円となっており、日銀はコロナ禍も再開発事業の資金繰りを支持している。(9)
 市場に任せていたら、再開発政策は自ずから破綻してしまっていることだろう。金融危機から再開発事業を守るために、中央政府はあらゆる措置を講じてきたと言って良い。

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【参考】
(1)『欧米の住宅政策 イギリス・ドイツ・フランス・アメリカ』
(2)『「世界都市」東京の構造転換 都市リストラクチャリング社会学
(3)https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/bluebook/2002/gaikou/html/siryou/sr_01_03.html
(4)『都市再開発政策 その批判的分析』
(5)『「都市再生」を問う 建築無制限時代の到来』
(6)https://www.minto.or.jp/30th/pdf/anniversary_03.pdf
(7)『首都改造 東京の再開発と都市政治』
(8)『再開発は誰のためか 住民不在の都市再生』
(9)https://www.asahi.com/articles/ASP3976CFP2DULFA00X.html