LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

フェデラル・ブルドーザー

【実家や本籍地がただの郊外住宅では寂しい】
 人は結婚すると、相手の実家を訪問したり自分の実家に連れてきたりということをする。親族の家を一通り挨拶にまわるという場合もある。
 そうした際に、相手の親族がだいたいどういう家に住んでいるかを知ることになる。そこで自分の親族の家と比べて、意外にも違いを感じることがある。少なくとも自分の場合は結構な違いを感じた。
 相手方の実家は郊外住宅だけれども、その親の実家は農村にある風情の豊かな家だった。屋根は入母屋で瓦は装飾されていた。
 自宅の土地以外に田畑をもっていて、人に貸したり野菜を作ったりしているらしく、帰るタイミングでねぎや芋を渡される。周りが田畑で囲まれているから垣根が必要ないし、空地には車が何台も停められる。車庫もガレージのように広々としていて、車を整備する道具が充実しているのだ。
 帰省先が農村の人からすれば、普通の光景かもしれないが、そういう環境とは無縁なライフスタイルを送っているのが日本人の多数派になっていると思う。
 たとえば自分の実家は、ごく一般的な郊外住宅で、庭は小さく他の家と隣接している。田畑などもっているはずがない。車庫もギリギリで自動車のスペース分しか確保されていない。
 自分の実家は郊外住宅だけれども、親の実家、つまり本籍地もただの郊外住宅だ。歴史ある建築とはいえず、土地も道路や他の住宅と隣接しているし、それもブロック塀である。せいぜい柿の木が植えられていたくらいだ。
 郊外住宅やマンションというのは、自分が住む分には好まれるのかもしれない。昭和の人たちは、団地やマイホームを夢見て、アクセスの良い土地を追い求め、農村よりはるかに手狭な住環境に甘んじてきた。
 しかし、自分の住まいというのは、いずれ自分の子孫にとっては実家または本籍地となる。そういうことを考えると、手狭な郊外に家族の拠点を置くことは考え物かもしれない。
 せっかく重要な話をする場所だというのに、本籍地がブロック塀というのでは、なんだか物寂しくなってしまう。

 

【フェデラル・ブルドーザー】
 最近の東京、とりわけ都心5区(千代田区中央区、港区、渋谷区、新宿区)の再開発は著しいといわれている。渋谷スクランブルスクエア、東京ミッドタウン八重洲、麻布台ヒルズ、どれもこれも一件で数百億円、数千億円という大型開発がいくつも進められている。群馬県草津町の再開発は恐らく総額で数十億円というレベルなので、文字通り地方とはケタが違う。
 東京の再開発は、今に始まったことではない。恐らくは1980年代の中曽根政権によるアーバンルネッサンス政策からこのかた継続されている。2002年には都市再生特別措置法により、民間ディベロッパーの事業を支援する体制が整えられた。2010年代は、東京五輪2020に向けた大型開発がいくつも立ち上がり、そして今に至る。
 こうした大都市の再開発をめぐる議論には、さまざまな宣伝文句が出回っている。
 曰く、「東京は再開発されることで『国際都市』へと生まれ変わる」「再開発は東京が世界と競争していくために必要だ」「再開発は民間主導による個性豊かなものだ」「再開発はイノベーションを引き起こす」「再開発は環境に良い」などなど。
 東京の再開発をめぐる論点はあまりにも多岐にわたっているから、それら全てを拾い上げることは不可能だろう。しかし、大筋としてこの状況が続いていくと、東京はどうなるだろうか、ということを推理する方法が無いわけではない。
 その方法というのは、同じような事例があった歴史を繙くことだ。

 1960年にこの本を手がけたとき、わたくしは、連邦政府の都市再開発事業そのものには興味をもっていなかった。わたくしの目的は、以下のことをさらに深く探りだすことであった。すなわち、この事業によって民間企業がいかなる影響を受けるのか?民間資金はどこからやってくるのか?どんな種類の民間建設工事が行われるのか?民間ディベロッパーはどんな手続きに従うのか?どんな潜在利益が存在するのか?

 1950年代のアメリカとりわけニューヨークでは、盛んに都市再開発事業が行われたという。市街地に高速道路や大公園、集合住宅を建設すべく、大がかりな用地取得が行われた。スラムの取壊しや住民の強制立退きといった社会問題が生まれ、そうした中でR.モーゼスとかJ.ジェイコブズなどのエピソードも生まれていった。
 マーティン・アンダーソン氏は、1964年に『都市再開発政策 その批判的分析』(英名『The Federal Bulldozer』)を著した。同氏は、それによってアメリカ政府の連邦都市再開発事業をつよく批判した。

 1949年、議会で設定された目標「すべてのアメリカ人に良好な住宅と豊かな生活環境を」に、たしかにわたくしは賛同している。しかしながら、数年にわたる調査の結果では、連邦都市再開発事業による方法では、自由企業ほど迅速かつ効果的に事業の目標を達成することはできないーしかも全然といってよいほどーと確信するにいたった。わたくしの意見では、連邦都市再開発事業は大変金がかかり、個人の自由を侵害し、議会で設定された目標を到底、達成する能力がないのである。

 彼の著作の序文には、興味深いエピソードがある。
 アンダーソンは、再開発事業を批判した自身の原稿を、いくつかの大学で都市計画を研究する教授達や連邦当局の役員に読んでもらい、その主張をめぐる事実や結論について討論したという。大学教授や役員たちは、彼の明らかにした事実関係のいくつかを肯定したが、その結論にはどうしても賛成せず「バランスを欠いている」と言い張った。そして、結局のところ再開発事業は正しいものであって、必要なものであるという姿勢を変えようとはしなかったという。
 これに対して、アンダーソンはこう問い返したという。「よろしい。わたくしが都市再開発が望ましくないという事実をたくさんならべているという意味では、バランスを欠いているかもしれない。しかし、わたくしに考慮しなかったものがあったろうか?どんな重要なことをわたくしは見落としたのか?」
 この質問に対して、アンダーソンは大学教授や役員たちから、いろいろな回答を受けとったそうだが、その中でただ一つの返答が彼の心に突き刺さったという。
 「どうして、私にわかるものか?専門家はあなたです。あなたはそれを研究している人でしょう。」1960年にその原稿を書いたとき、アンダーソンは弱冠24歳だった。大学教授から「あなたが専門家だ」と言われたとき、彼はいったい何を思っただろうか。「専門家は、お前だろ・・・」という言葉が喉のところまで来ていたかもしれないし、それとも真面目に自分の推理を疑って結論を考え直そうとしただろうか。
 あまりにも大きなプロジェクトとなると、その全容を把握できる人間が一人もいなくなり、責任者が誰なのかすら定かではなくなる。それは今の東京の再開発でも同じことだと思う。

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参考:『都市再開発政策 その批判的分析』(1971)