LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

住宅政策について③

【要点】
 住宅政策における新自由主義の影響、その結果。東京におけるタワーマンション建設の要因。

 

【本文】
 1990年代から、日本は新自由主義イデオロギーにもとづく経済政策へと舵を切った。新自由主義の要点は、理想的な自由市場を実現すべく、規制緩和と民営化を徹底させるところにある。住宅政策の分野もその影響を免れず、持家の建設は公共部門から民間部門へ移されていった。住宅業界も自由化していったのである。
 ここ20年における住宅分野に顕著なことは、東京圏において高層マンション群が発生したことであろう。二十階建て以上のタワーマンションの建設は、2000年代から急激に増加した。

 率直に考えると、その原因は住宅市場の自由化にあるように思われるかもしれない。けれども、タワーマンションの林立と住宅市場の自由化は、短絡的な因果関係で結ばれるものではないという。
 日本の住宅業界が、新自由主義の改革によって主に変わった点は三つほどある。まず、民間企業による住宅ローン市場への参入規制が緩和されたという点。次に、それまでの住宅政策の三本柱といわれていた、住宅金融公庫日本住宅公団公営住宅(地方自治体)の活動規模が大きく縮小したという点。そして、地方分権により地方自治体の住宅政策の裁量が増やされた点。要してしまうと、政府から民間へ、また中央から地方へと住宅供給の担い手が移されていった。
 もともと1970年代からの住宅政策は、住宅金融公庫による住宅ローンの供給を中心とするもので、持家社会が形成される主因でもあった。けれども、この方法に傾倒し過ぎていたことから、ローン完済のおぼつかないような低所得層の世帯にも、ローンを提供できるよう貸出し条件が緩和されてしまっていた。このようなリスクの高い公庫融資は、日本の不動産バブルの一要因になったと同時に、ローン返済の延滞や破綻の事例を多発させてしまったという。
 そして1990年代からの自由化によってもたらされたのは、この住宅ローンをめぐる所得格差を煽るものであった。住宅ローン市場に新規参入した民間企業は、住宅金融公庫の供給する固定金利のローンよりも、概して金利の低い変動金利のローンを提供した。これによって、所得の高い階層は、公庫ローンから民間ローンへと借換えを行い、生活の余裕を増やすことができた。しかし、その一方で、低所得者はその恩恵を受けることができず、高所得者との貧富の差はさらに開いてしまう結果となった。
 さらに、1990年代より公営住宅の建設量はさらに削減され、収入に関する居住条件もより厳しくなった。その結果、公営住宅に入居することのできない低所得者は増加し、居住の自由は失われていった。要するに、住宅供給の自由化は所得格差を悪化させたのである。
 その一方、地方分権地方自治体の自律性を高めたと言われていた。しかし実際のところ、地方交付税交付金は削減され、残りの予算の使い道についても人口と地方税を増やすものへと選択と集中を強いられていった。そのため、むしろ自治体の施策の多様性は失われてしまったらしい。この意味で、地方分権は逆に中央集権を強める政策だったとされる。
 さらに地方分権改革によって、人口が増加する都市地域における公営住宅の新規建設は優先され、人口が減少する地域における公営住宅の維持修繕は後回しにされていった。その影響は、地域間格差の拡大を招く一因になったという。
 このように、1990年代からの住宅政策の転換は、概して国内の所得格差や地域間格差を開いてしまう要因となった。
 では、東京圏におけるタワーマンションの林立はどうかというと、それは自由化等による影響ではなく、平山によれば、もっぱら国策として推し進められてきたものだという。2001年の小泉内閣は都市再生本部を設け、翌年には都市再生特別措置法が施行された。東京を再開発させるにあたって、あらゆる措置が講じられる準備がなされたというのである。

民間ディベロッパーのプロジェクトは、市場経済の自由な運動ではなく、都市再生を推進する国策から産出された。都市計画・建築規制の大胆な緩和、とくに容積率上限の大幅な引き上げ、国公有地の払い下げ、道路基盤などの公共施設の整備、住宅購入支援、金融緩和による不動産投資刺激などの多岐にわたる施策手段が大規模開発を可能にした。都市再生は、新自由主義の影響下で、民間資本の大がかりな導入をともない、より自由な市場経済にもとづくとされていたが、しかし、ディベロッパーに対する国家の寛大な援助と保護を抜きにして成り立たなかった。(1)

 つまり、東京の高層マンション建設は政府が牽引したのである。このことは、1990年代から喧伝されたグローバル化の影響から、東京を「世界都市」にするという構想によって実施された。グローバル化は、民間企業を国家のしがらみから解放し、国際的に統一された市場で自由に競争しようという世界観に寄ってたっている。けれども、その世界観から生まれるはずだった東京の姿は、つよい国家の介入があってつくり出されたものであったという事実は、なんとも皮肉な話である。


【参考文献】
(1) 平山洋介『マイホームの彼方に 住宅政策の戦後史をどう読むか』(2020)
  その他、基本的には平山の同著を参考にしている。