LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

冬を感じる瞬間

【冬を感じる瞬間】

 数日前に浅間山を見たら山頂のあたりが白くなっていた。たいていの群馬県民は、浅間山が白くなっていれば、今年も冬が来たなと感じるのではないか。浅間山は白くなりやすいが、他の山は白くなりにくい。
 冬は山の景色がきれいに見える。雪が降り積もっているのが良いという意味ではなく、実際に山が一番よく見える時期は冬なのだ。つまり、空気が乾燥していて空が澄んでいるので、遠くのモノがはっきりと映る。
 夏は緑が多いかもしれないが、湿度が高いので山の輪郭は良く見えない。カメラのピントが少し外れたような感じになる。大都会の人は、良い山景色というと春の桜とか秋の紅葉を思い浮かべるかもしれない。確かにそれも素晴らしいが、部分的な景色を楽しむのであれば庭園や公園に行くのが良い。いつも通りの風景、つまり車や電車の窓から山全体を眺めるなら、やはり冬だと思う。

 

【大都市と近隣は同時に発生した】

 最近なるほどと思った話。
 街路計画の分野では、近隣(neighborhood)が重視される。近くに住んでいる者どうしが連帯意識をもつことで近隣社会がつくり出され、街路はその近隣の秩序に貢献するよう設計されるべしというわけだ。
 そういった近隣の重要性は、言われてみれば、ずっと昔から当たり前のように認知されていただろうと思えてくる。しかし、いわゆる近隣社会というものが意識されるようになったのは、大都市が生まれて来てからということらしい。
 中川剛(1980)によれば、イギリス人やアメリカ人の場合、単に「近くに住んでいるから」という理由で、公式なコミュニティや自治組織をつくるということはあり得なかったという。コミュニティがつくられるためには、近くに住んでいる以上に、その構成員が同じ<生活様式>にしたがい、また同じ<信条>を共有していることが条件とされた。だから、欧米のコミュニティは人種や階級で分断されやすいものであり、白人の美しい町のすぐ隣にスラムが続くという光景が起こり得るというのである。
 ところが、大都市が生まれ、そこに種々雑多な人々が流れて住み込んでくると、市民の生活様式や信条はバラバラになり、そこに自治意識や欧米的なコミュニティを育むことは難しくなる。仮に大都市で自分たちと同じタイプの人間を求めて、新たなコミュニティをつくろうとすれば、自治意識の高い白人階級ほど、大都市から郊外へ逃げ出すことになるという。
 共有された生活様式や信条というものは、そう簡単につくられるものではなく、歴史的な裏付けがなければならない。歴史が浅く移住の絶えない大都市で、強固なコミュニティを期待することは難しい。
 そこで、大都市を小さな区域に分けて、それを非公式ながらも政治的単位として、ある程度の秩序を可能にしようというのだ。ここから「近隣社会」という発想が欧米で生まれたと中川はいう。

 都市に流入する人口は、自由よりは生活利益を求めるようになっていき、契約の風土はなしくずしになっていく。中小都市では市民社会の古典的な徳目や規範が守られている例が多いとしても、大都市は逆にそうしたモラルを守り切れない、あるいはまぬがれようとする依存的な大衆を吸収して、自治意識を低下させる。
 したがって、アメリカの大都市や法人化されていない低所得者地域に、近隣社会(neighborhood)が市の下部機構として、あるいはコミュニティを形成していくための機構として問題となるにいたったのは、近代精神が限界につきあたってからのことと言えるだろう。事実、近隣社会は、都市が急成長し始めた十九世紀半ばから注目されることとなったのである。(1)

 J.ジェイコブズは、自身の街路計画論について「大都市以外で用いるべからず」という様なことを言っていたが、「街路近隣」というものが実際のところ大都市の産物ということなのだろう。中小都市では、近くに住んでいるかどうかはあまり問題にならず、住民が生活スタイルや信条を共有しているかどうかが問題となる。近隣だからコミュニティになる、ないしコミュニティになるべきという議論は、中小都市にはなく、もっぱら大都市の中でこそ交わされてきたというわけだ。

わたしの観察を、町や小都市や、まだ郊外のままの郊外に適用しようとする読者がいないことを祈っています。町や郊外や小都市でさえも、大都市とはまったくちがった組織です。大都市を理解しようとするのに、町のふるまいを使うことで、わたしたちはすでに十分にひどい状況になっています。大都市をもとに町を理解しようとするのは、その混乱をさらに悪化させるだけです。(2)

 大都市と近隣は、表と裏の関係にある。近隣社会が大都市に固有のものだとすれば、それを対象にした街路計画というのも、大都市に固有の分野ということになる。言いかえれば、中小都市の街路計画と大都市の街路計画では、扱う対象がまったく違う、異なる分野だという話になる。

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(1)中川剛『町内会 日本人の自治感覚』
(2)J.ジェイコブズ『アメリカ大都市の生と死』