LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

『余韻都市』について①

 最近読んだ『余韻都市 ニューローカルと公共交通』には、随所において石川栄耀について触れられていた。
 具体的には、「3章 劇場と都市の変遷からみる歩行者と公共交通が連携した計画の重要性」では、劇場が盛り場において重要だとする上で、石川栄耀は「盛り場」研究の先駆者として語られている。

石川は、都市計画愛知地方委員会を中心に設立された「都市創作会」の機関誌『都市創作』(1925~1930年)への寄稿「郷土都市の話になる迄」において、業務でなく余暇を中心とした都市計画を提唱し、週末だけ余暇時間を楽しむような街ではなく、日常的に「夜」の時間をそれに充てられる街の姿を描いている。

 そして、石川の「休養娯楽計画」に言及して、その空間構成は現代においても新しい都市再生の時代のモデルになるというのである。
    確かに、石川が都市計画において「盛り場」、つまり商店街や娯楽施設を重視していたことは疑いようがない。実際、彼の代表作の一つである『皇国都市の建設』でも、盛り場という空間の役割とその歴史については特筆されている。
    しかし、石川は、盛り場の重要性を唱える一方で、それと同等かそれ以上に大事なことも主張していた。
 その点は、「7章 これからの都市・余韻都市」の中で吉見俊哉氏により、少し触れられている。

吉見氏:石川栄耀の戦災復興計画の中で、彼は東京を巨大化しようとは考えておらず、東京の人口をもうちょっと抑えて、その中に文教地区もそうだし盛り場もそうだけど、様々な生活圏をつくっていく構想があった。

 石川栄耀は、戦災復興計画の立役者であり、その際には東京の巨大化を防ごうとしていたということである。
 彼の主著『皇国都市の建設』には、大都市になった東京に対する批判と、大都市を分散させるメリットおよびその方法について、詳細に述べられている。石川は、それを「大東京百年の大計」とまで言っていた。

大東京百年の大計としては理論的にはあく迄東京を政治、工業いずれかの単能都市として、その人口を百万以下、出来得可くは五十万代に限るべきである。而して八百万の人口の中地方に疎散し得るものは疎散し得ざるものは十分なる交通設備の上衛星都市に分割分散すべきである。

 『皇国都市の建設』の副題は「大都市疎散問題」だった。要するに、石川の思想には大都市分散という、外せないもう一つの山がある。
    こういうと、石川栄耀には「盛り場」論者という面と、大都市分散論者という二つの側面があった、という程度の話で片付けられてしまうかもしれない。
    しかし、実際の石川の主張は、大都市分散ありきの「盛り場」論だった。「盛り場は大事だ」という話と、「東京一極集中はやめよう」という話は石川の中で繋がっている。
    石川は、東京のような大都市を批判していた。大都市化した空間では、功利的な資本主義が小売市場そして居住空間を占拠してしまい、人々を孤立・堕落させてしまうという。

誠に今日の都市悪の大部は、自由放任の資本主義が小売部門を通し民族の堕落を導き、又同系資本活動が居住部門を通し乱雑孤立の環境を構成し、又その変形たる交通機関が乗客相互の態度を低落せしめつつ市民性格の大部を形成したのであると云える。又これに拍車をかけるものとして功利の精神が存在してる事も否む事は出来ない。

 石川は、大都市の盛り場を「大衆心情低落化」を引き起こすものだとして、国民に悪影響があると指摘していた。だから、彼に言わせれば、大都市の盛り場は邪道ということになる。
 そういうわけで、石川は大都市化した東京を、まずいくつかの小都市に分散させることを提案した。彼によれば、小都市化のメリットは、小都市なら住民の連帯意識が生まれやすいこと(石川はこれを「隣保性」と呼んでいた)、そして農村との関係が深くなることであるという。小都市と農村がセットになり自立的な地域を全国につくり出すことが、石川の念頭にあった。「小都市の盛り場」こそ石川の推進するものだったといえる。
 ところで、『余韻都市  ニューローカルと公共交通』の中では、ジャネット・サディク=カーン氏によるニューヨークの歩行者空間創出の事例が紹介されている。

市元交通局局長のジャネット・サディク=カーン氏は街路空間の再配分を行い、車中心の道路を歩行者中心の道路に変えてニューヨークの魅力をアップさせたことで知られる。
 氏が手がけた改革で最も有名なのはタイムズ・スクエアの広場化である。ブロードウェイの四二丁目から四七丁目までを歩行者のための道路にする実験に取りかかり、結果として、タイムズ・スクエアの人流が増加し、車道は人のスペースへと変貌した。

 石川栄耀も、盛り場においては歩行者中心を唱えて、街路に自動車が通行するといったことを批判していた。歩行者空間を重視する点で二人は同じ意見だったと言える。しかし、サディク=カーン氏の方は、大都市肯定派である。

 もし地球を守りたいのなら、ニューヨークに引っ越してくるべきだと私はよく話す。ニューヨークでなくとも、大都市であればどこでも結構。(中略)何百万もの人々の住まいを、数百もの農村や郊外に広げるのではなく、高層住宅に集中させることで生まれる都市的なエネルギーこそ、実際に多くの人々がニューヨークのような大都市に文化的、専門的、政治的側面から惹きつけられる理由である。

 サディク=カーン氏は大都市指向であるが、石川栄耀は小都市指向だった。この点で両者は全く異なる方向をむいているのだが、私は石川の方が正しいのではないかと思っている。
    それについては、また追々述べていきたい。

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【参考】

・『皇国都市の建設 大都市疎散問題』

・『余韻都市 ニューローカルと公共交通』

・『ストリートファイト 人間の街路を取り戻したニューヨーク市交通局長の闘い』