LIFE LOG(カワカミ・レポート)

カワカミ・ノート

おもに都市計画やまちづくりに関わる考察などを書いていきます。

住宅政策について①

【要点】
 平山洋介『住宅政策のどこが問題か』について。経済成長と持家社会の関係における平山の洞察。
(各国の類型)

 

【本文】
 住宅政策の分野で良い本を読んだので紹介したいと思う。
 平山洋介氏の『住宅政策のどこが問題か <持家社会>の次を展望する』である。戦後から現在にいたるまでの日本の住宅政策の内容が描かれている。読みにくい類の本だけれども、真面目に勉強したいならこういう本を読むべきだと思う。
 前半は以下の通り。

 戦前日本は借家社会であり、1940年ごろの持家率は20%程度だった。それが、戦後の1950年ごろとなると60%程度にまで一気に跳ね上がった。戦後政府は地代家賃を統制したことで、借家社会が壊れてしまったために、多く国民が自力で家を建設していったという(この頃は相当社会が混乱したことが想像される)。
 だから、戦後日本の住宅情勢というのは、人々が自力で建設した住処から、政府・企業の供給する量産型の持家に転換していくプロセスだったともいえる。
 その過程は、経済成長と密接不可分だった。所得が増えれば立派な一戸建てが購入できるし、増加する住宅建設は市場にさらなる需要をもたらす。経済成長が持家社会を後押しし、持家社会がまた経済成長を促進していったのだろう。
 けれども、平山によれば、経済成長と持家社会を短絡的に結びつけるのは安易な発想らしい。たしかに、国民一人ひとりが立派なマイホームを有するには、経済が成長して所得水準が上がっていなければならない。

 しかしながら、所得の増えた国民が一斉にマイホームを建てるとは限らない。経済が成長しても借家社会に甘んじる国だってあるはずだろう。例えば、戦後ドイツは経済成長していたが、その持家率は40%程度で推移していた。持家社会の必要条件は経済成長であるというのは正しいが、その逆は必ずしも正しくないということだ。
 だから、日本が経済成長しながら持家社会となっていったのは、そこには国民にマイホームを持たせるべく誘導するような制度設計があったはずである。それが平山のいう戦後日本の住宅政策であった。
 日本が持家社会を形成するにあたって、具体的にどのような住宅政策を施していたのか明らかにしていこうと思う。

 

【付け加えて】
 持家社会の指向があった国というのは、日本、イギリス、アメリカおよびオーストラリアといったアングロサクソン諸国(+日本)であり、平山によればデュアリズム諸国と呼ばれている。他方で、経済成長しても持家率はそれほど高くないまま推移した国は、ドイツ、フランス、スイスおよびオーストリアといった大陸系ヨーロッパの国々であり、ユニタリズム諸国と呼ばれているらしい。