百年前の理想都市
下河辺淳は、1993年のインタビューで、21世紀の国土計画は小都市に興味をもつべきだという言葉を残している。20世紀の国土計画は大都市の計画に重きをおいてきたが、それにより”都市は大きくなければならない”という思想が生まれたという。下河辺はこれをイデオロギーとして疑問視しているのだ。
何かプランナーの頭の中には、拠点都市の思想の中に、一つの都市で都市機能がワンセットそろっていることが拠点の原点、という考え方があるのではないかと思います。それだけに、最低三十万人とか、理想的には百万人ぐらいの規模がないと、拠点都市たり得ないという議論がまだ少しありますね。(中略)
もっと根本的に、大規模な都市でなければ充実しないという思想から離れないと、永遠にだめだと思うのです。私は国土で過密・過疎を論ずる時に、五万人都市が生きる道ということに何か先が見えてこないと、何言ってもだめなのでないかという気がするのです。
こうして遷都論をめぐっても、五万人ぐらいの小都市に国会を移転するのはどうかと明言していた。
下河辺の批判する「拠点都市の思想」というのは、現在でも流行している。例えば、東京一極集中に関する議論には、数十万人規模の都市を人口流出の防衛拠点として位置づけ、その防衛拠点へ効率的に投資をしても、より小さい集落への投資は控えるべきとするものがある。これもテーマが異なるだけで、都市は大きくなければ機能しないというイデオロギーにもとづいた意見と言える。
東京への一極集中が抑えられたところで、別の場所への一極集中が起きるのであれば、過疎・過密の解決にはなっていない。「五万人都市の先行きに見通しが示せなければ何を言ってもダメだ」という下河辺の指摘は、国土や地域を考える人間には刺さるのではないか。
今から百年前、アムステルダム国際都市計画会議で7カ条の決議が行われた。その会議には、石川栄耀ら4人の日本人が参加していたという。決議の内容は、大都市の無制限な拡張を警戒し、衛星都市への分散を推奨するものだった。このときの主催団体の会長は、かのエベネザー・ハワードであり、そのため7カ条でいう衛星都市とは概ねハワードの田園都市と重ねて考えて差支えない。
田園都市というと、約三万人の小さな都市であり、何十万人まで大きくすることは想定されていない。ハワードは意外にも、現代と同じような問題意識を抱えて田園都市を提言していた。つまり、大都市ロンドンへ人口が流入し続け、イギリスの地方が寂れていくという問題である。
しかしながら、意見がほとんど分かれることのない問題が一つある。それはほとんどありとあらゆる党の人々が合意している問題だ。それもイギリスだけに限らず、ヨーロッパ中もアメリカも、われわれ植民地でも合意されている。その問題というのは、人々がすでに過密となっている都市に相変わらず流入を続けており、そしてその一方で地方部がますますさびれていく、という問題である。
百年前の理想都市は、大都市の人口分散を目的としてはじまった。そして、ハワードはこの問題の考え方について、はじめから本質的なことを言っていたように思う。
人々が都市に集まってくるとき、過去にどんな力が働いて、いまどんな力が作用しているにせよ、そうした原因はすべて「魅力」のひと言にまとめてしまえるのである。したがって、どんな対処方法であっても、それが人々(少なくともそのかなりの部分)にいまのわれわれの都市より大きな「魅力」を示さなくては、有効に機能するわけがない。古い「魅力」を新しくつくられる新しい「魅力」が凌駕しなくてはならないわけだ。
大都市から小都市へ人口を動かしたいなら、その小都市の方がより大きな魅力を備えなければならない。田園都市は、その方法のうちの一つとして提言されたのだから、下河辺の求めていた国土計画論にも通じるものがあるのではないか。
日本でも田園都市に言及した議論は、全くなかったわけではない。大ロンドン計画を模倣した首都圏基本計画が施行された時期もあれば、田園都市国家構想というのが総理大臣によって提唱された時期もある。あるいは新産業都市建設など国土の人口分散のための政策も講じられた経緯がある。
しかし、それらがすべて約三万人程度の小都市に投資する政策論だったとは限らない。たとえば、首都圏基本計画において衛星都市(市街地開発区域)として指定された地域には、高崎・前橋、宇都宮、水戸・勝田など北関東の主要都市があるが、これらは現在30~50万人程度の都市圏に成長している。新産業都市も同様に数十万人という規模の都市圏である。これらは「田園都市」ではなく「拠点都市」というわけだ。
一方で、三全総の定住圏など田園都市論に近しい構想も提唱されている。下河辺は「定住圏の考え方は今後の国土計画でも中心的なテーマになりうる」と語っていた。定住圏構想は水系主義にもとづき国土の人と自然の関係をあつかった議論なのだから、そのような普遍的な問題は21世紀でも議論されるだろうというわけだ。
具体的な公共事業や個別の計画というのは、政治的な事情や状況の変化で、縮小されたり中止に追い込まれたりする。しかし、その事業や計画を支える思想というのが変わらない限り、同じような事業は繰り返し計画されて、いつの日か陽の目をみる。21世紀に田園都市が陽の目をみる可能性だってある。